真の愛情を伝えましょう

「親は権力をもって子どもを扱うべきだ」という考え方があります。親が権力を持っていなければ子どもはつけ上がり、親の言うことを聞かなくなるので、親が権力と位置をもって命令し、あるいは指導し、躾をしないといけないというのです。しかし、愛することに自信がなく、子どもとしっかり向き合って対することができない時に、親は権力にものを言わせようとする傾向性が強いのです。ですから、子どもとしっかり向き合い、愛情が子どもに届いていることが分かれば、親と子どもの心を一つにすることができるようになります。心を一つにして子どもと共感できてこそ、子どものために何かをしてあげることができます。上から目線では、親子が心を一つにすることができません。親が上から目線で自分を見つめていることを、子供は敏感に感じ取ってしまうからです。

 

また、親が子どもに教えて教育しようとするときに、「権力」を必要とすることが多いようです。親子の心が一心になっているならば、お互いの事情が自然に理解できるようになるのですが、一心になっていないのに無理に「権力」を用いるとすると、さらに親子の心が遠くなり、逆にお互い誤解を招く結果となってしまうでしょう。

 

文鮮明先生の言葉に次のようなものがあります。

 「一心になろうとすれば、一つは上にあり、もう一つは下にあるという状況ではできません。父が上にいて息子、娘は下にいる、それでは一心になれないのです。同等な立場で平面的に位置していてこそ、一心になれるのです。夫婦も同じです。横的関係において内外関係、前後関係の位置に立ってこそ一心になるのであって、上下関係では絶対に一心になれません」

 

親子は、「同等な立場で平面的に位置していてこそ、一心になれる」のです。

これは全ての人間関係に当てはまることでしょう。もし、親として子どもと心を通じ合えるようにしたいのなら、子どもの上にいるのではなく、子どもの横に来て寄り添うように接する必要があります。また、子どもを涙で背負ってあげる気持ちで寄り添ってあげる必要があるのではないでしょうか。そうすれば、子どもは親を信頼し、慕って横にいるところから自分の上へと親を押し上げてくれるのです。

 

皆さんは、なぜ神様が好きなのですか? 上にいて指示をしてくれるからですか? 権力を持っているからですか? どうでしょうか?

足跡という詩がありますので紹介します。

 

 

「足跡」

 ある夜、彼は夢を見た。それは主と共に海岸を歩いている夢だった。その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。その場面場面で彼は砂浜に二組の足跡があることに気が付いた。一つは主のもの、そしてもう一つは自分のものであった。

 そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返ってみた。すると彼が歩んできた今までの道の多くの時に、たった一つの足跡しかないことに気が付いた。そしてそれはまた彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれている時のものであることに気が付かされた。

 彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。「主よ、かつて私があなたに従うと決心したとき、あなたはどんな時も私と共に歩んでくださると約束されたではありませんか。でも私の人生で最も苦しかったとき、一つの足跡しかありません。私が最もあなたを必要としていたとき、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか? 私には理解できません」

 主は答えられた。「私の愛する息子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。あなたが試練や苦しみの中にあった時、たった一組しか足跡がなかったのは、私があなたを背負っていたからではないか」

 

 

一組しか足跡がなかったのは、私を背負って歩んでくださった神様の足跡だったのです。神様さえも、幼い子どもである人間を背負って歩んでくれたのです。私の横にいたのではなく、私の下にいてくださって私の心を分かっていてくれたから、神様を好きになってしまったのです。いわんや私たちは、まだまだ幼い神様の子女であるわけですから、子どもと「一心」になるために、「同等な立場で平面的に位置して」みて、子どもと心を共感してみる努力をしましょう。

(多田聰夫)

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