神の喜びのための祝福結婚

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田中君敏・和夏子さん夫婦

(2008年7月6日祝福結婚・東京都渋谷区在住)

 

 

「祝福結婚」には文字通りの意味があると思います。

 

私は、統一教会の信仰を持つ家庭に生まれ、物心つくころには結婚および男女関係に関する自分の決定権がないことを知りました。しかし成長するにしたがって恋愛感情も覚え、「自分の好きな人と結ばれたい!」という自然な欲求と宿命の狭間で疑問を抱えました。

 

「自分のタイプの異性というのは、まわりに多くはいない。であるならば、自分に選択権のない結婚でタイプの異性と出会う確率なんて知れたもの。祝福結婚は避けて通ることのできない理想を捨てるデッドラインだ」などと考えていました。

 

しかし、御言を学び実践する中で、真なる愛の主体である神様の存在を知り、その真の愛の相対として創造された人間を通してのみ神様の愛の理想が完成されることを知りました。神様は息子、娘である人間が無限なる愛の喜びをもつように祝福したのです。

 

このことを知った時、今まで愛というものに対して自分の持っていた観が、あまりにも浅く、こじんまりした次元であったことを痛感しました。親なる神様が子女に与えようとされている愛の理想を、自分の物差しで過小評価していたのです。

 

一方で、至高なる愛の理想を求める人間においては、愛に対する責任性をもつときに完成が可能だと学びました。責任性なしに個々人が愛の自由だけを主張し、実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が来るでしょうか?それは世の中をみれば明らかです。

 

自分たち夫婦をとってみても、常に「相手の為に」という動機から出発しなければ、お互いの未熟な部分を責めたり、自己中心的に相手を嫌になったりしてしまいます。また、自分は与えようとはせず、相手から求めようとします。

 

しかし、相手のために自己改善につとめ、また相手の足りない部分を補おうと努力する中で、それぞれの未熟な部分も克服できます。夫婦一体を目指すことで原理講論にある個性完成が成されること、また夫婦の間には神様の存在が不可欠であることを実感しています。

 

神様を喜ばせることのできる夫婦とは、それぞれではなく、二人で一つの幸せを共有できる夫婦であると思います。